WATATSUMI

漢字で書くと「海神」ですね。

この曲の歌詞は当時読んでいた沖浦和光という人の「瀬戸内の民俗誌」という本の影響を受けています。

沖浦さんは被差別民やサンカ研究で有名な人ですが、サンカ研究においては三角寛のようなカストリ的な下衆な説ではなく、実直な学者らしい、天保飢饉による難民を由来とする説を唱えたりしています。あと、不破哲三や安東仁兵衛なんか共に全学連結成時の中心メンバーだったことでも有名ですね。

で、この本に出ていた、伊予河野氏に伝わる「予章記」という書物についての話が非常に興味深かったのでこの曲のテーマとしました。

この曲はキーボードの三四郎の作曲ですが、初めて音源を聴いた時に深い海のイメージを想起したことから、たまたま読んでいたこの本の内容と上手くマッチしたのだと思います。

河野氏と言えば、大三島にある伊予国一宮・大山祇神社を信仰し、強大な水軍力を背景に一時は瀬戸内海の制海権を握るまでに至った豪族ですが、戦国期に入る頃には大分衰退が始まり、結局、戦国時代を生き抜く事は出来ませんでした。

「予章記」によると河野氏は同じく伊予国の越智氏の庶流とのことですが、その越智氏は元は小千(おち)と表記していたそうです。

これは伊予国小千郡を治めていたことに由来しており、推古期には百済(一説には靺鞨-今のロシア沿海州に居た民族-)が鉄人兵団を率いて日本に攻め寄せて来た時にこれを討ち破る小千益躬という人物が出ます。そして、天智期には小千守輿という人物が出るのですが、この人の子が越智氏の祖とる玉輿という人物です。

ある時、その玉輿さんが何故か彼の有名な修験道の祖である役小角と共に大三島の大山祇神社参詣に向かいます。ところがその途中、船上で飲料水が尽きてしまったので、玉輿さんが神様に祈ったところ、海中から真水が沸いて出たりとか、実はその船の船頭が唐土に戦で出て行ったきり行方不明になった父親・守輿さんが現地でこさえた異母弟・玉澄で、わざわざ越の国から父親を探しに来ていたのが判明したりとか色々出来過ぎな展開が盛り沢山となり、それならと越の国との縁を表すためにと玉輿は小千を越智姓に改め、玉澄は真水が湧き出た水源が故国伊予だったことが判明したことから水→河の野で河野姓を名乗ったという実に強引なエピソードです。

越の国ってのが現在のベトナムを表す南越のことなのか、長江下流地域を指す越のことなのか失念してしまいましたが、一方で「水里玄義」という別の河野氏の由来書によると、現在の北陸地方を示唆する記述があったりして何だかよく解りません。

また、日本霊異記という書物には二人の父親である小千守輿と見られる小千直(あたい)という人物が唐・新羅連合軍と戦って大敗した白村江の戦いの時に捕虜となったという記述があります。

こうなってくると俄然妄想エンジンの勢いが増すのですが、太古より日本海沿岸での朝鮮半島との交流は但馬国にやって来た天日矛の例を持ち出すまでも無く非常に盛んでした。日本書紀でも高天原を追放されたスサノオはまず朝鮮半島の曾尸茂梨(そしもり)経由で出雲に入っています。

つまり、玉澄は朝鮮半島で生まれ、その後、北陸地方の越の国を経由して畿内にやって来たのではないかという妄想です。当時は中国から来たって言った方が当時は箔が付いたんじゃないんでしょうね。長江流域って所がポイントですけど。

妄想が行き過ぎて、歌詞の解説を忘れてしまいました。。。

この曲のテーマは実に単純で、たまには自分のご先祖様の事を思い出しましょうね、というお盆にふさわしい内容です。

普通の家にはこんな由来書はありませんが、祖父ちゃん祖母ちゃんの話を聞いてへーって思うだけで良いと思うんですよね。そういう人たちが居て今の自分が居る訳です。

枯れた木々が咲き・・・木はファミリーツリー、すなわち家系図を表しており、そうした話を聞いた時、今まで知ることのなかった枯れ・朽ちていたストーリーが蘇るという意味を込めています。

役者(えんじゃ)っていうのは、文字通り役小角の事で、予章記だと何のために出てくるのかよく解らないのですが、この曲ではストーリーテラー的な存在として配置しました。

そしてサビでは、そうした話を聞くたびにその木々の末端にあるひと葉ひと葉ごとのストーリーが色彩を帯び、生き生きと蘇って来る様を、導入部分に続いて改めて表現しようと思いました。

そうした連綿と続く人々の営みを祭神たる海神(わたつみ)は過去から未来に至るまで見守り続けています。そして、それ故、人々はいつの時代も信仰を忘れない訳です。そうした人々の想いの積み重ねが今の自分を形成しています。たまには自らについて顧みてみるのも良いのではないか?と思うのです。

なんか年寄りの説教みたいなテーマになってしまいました。。。。

それではこの辺で。

 

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